患者と家族の板挟み
以前投稿したカテゴリ「患者と家族の板ばさみ」の記事を見られた知人の医師に、言われてしまった。
僕等の方が、もっとひどい経験は、再々のことダヨ、っと。
長い闘病期間中には、何の音沙汰も無かった親族が、いよいよの時にやって来て、騒ぎ立てるものだから、身近な家族の方が、何とか止めてくれて、ホッとしたことが最近もあったばかりだが、お互いに疲れきった家族がかばってくれたので、直ぐにおさまったが、一番困難を覚えるのは、やはり、本来はもっと早く会いにやって来ておくべき身近な家族が、いよいよになってやって来て、攻め立てられる時が、一番辛いし、腹も立ってくると言われる。
結局、自分等の不人情を、彼らは医師を攻め立てることによって、これだけ親身に心配している、というポーズをとらざるを得ないのだろう、と皮肉な考えも、持たざるを得ない、という意見では、まったく一致した。
人間って、きれいな部分も、きたない部分も、親族、あるいは家族の生死に関わる時には、本当にモロダシになる、ということか。
いよいよになって、医師を攻め立てる家族、あるいは親族の気持は充分理解出来ない訳ではないが、日頃、見舞いにも来なかったような連中に、いよいよになって騒ぎ立てる人が多いのは、事実のようで、それは当方でも同様のことだった。
いずれにせよ、第一線の医師たちは、それらの困難に落ち込みながらも、不眠不休で頑張っている、という現実は、直視する必要がある。
戦後に、家族制を崩壊させ、何でもどこかの国のマネばかりして来たヒズミが、こんなところに出てきたのかもしれない。
僕等の方が、もっとひどい経験は、再々のことダヨ、っと。
長い闘病期間中には、何の音沙汰も無かった親族が、いよいよの時にやって来て、騒ぎ立てるものだから、身近な家族の方が、何とか止めてくれて、ホッとしたことが最近もあったばかりだが、お互いに疲れきった家族がかばってくれたので、直ぐにおさまったが、一番困難を覚えるのは、やはり、本来はもっと早く会いにやって来ておくべき身近な家族が、いよいよになってやって来て、攻め立てられる時が、一番辛いし、腹も立ってくると言われる。
結局、自分等の不人情を、彼らは医師を攻め立てることによって、これだけ親身に心配している、というポーズをとらざるを得ないのだろう、と皮肉な考えも、持たざるを得ない、という意見では、まったく一致した。
人間って、きれいな部分も、きたない部分も、親族、あるいは家族の生死に関わる時には、本当にモロダシになる、ということか。
いよいよになって、医師を攻め立てる家族、あるいは親族の気持は充分理解出来ない訳ではないが、日頃、見舞いにも来なかったような連中に、いよいよになって騒ぎ立てる人が多いのは、事実のようで、それは当方でも同様のことだった。
いずれにせよ、第一線の医師たちは、それらの困難に落ち込みながらも、不眠不休で頑張っている、という現実は、直視する必要がある。
戦後に、家族制を崩壊させ、何でもどこかの国のマネばかりして来たヒズミが、こんなところに出てきたのかもしれない。
投稿者 薬剤師 2005年9月24日 07:41
人情として分からぬもないが,それまでは親不孝者の典型の息子や娘達が、親が危篤ともなると、急に親孝行振りを発揮する。
それはそれで、人間の当然の「自然の情」であるから、いいことだと思うし、最もだと思う。
日頃から冷たい家族に、愚痴がないではなかった患者さんは、たまたま合成医薬品に弱かったものだから、難治性疾患はもとより、多くを漢方薬に頼っていた。
だいぶん、体力に自信を失うような状態になった頃には、漢方薬でも「高貴薬」と言われる牛黄や麝香が配合された漢方製剤を多用するようになっていた。
たしかにそれらで、暑い夏も過せたし、弱る体力を維持できていたし。
ところが、寿命というものだろうか・・・・・・。
患者さんには、大変頼りにされて、当方から出す漢方薬を信頼して下っていた。
いったん床に伏せるようになってからは、衰えが早かった。
もともとの肺に関連した難治性疾患には、一般西洋医学治療においてはもとより、漢方医学や中医学においても、高齢とともにどうしようもない部分も生じていた。
そんなところへ、滅多に帰ったことの無い、息子や娘達が帰ってくる。
「何をおたくは、飲ませてるんですか?」
人にものを尋ねるのに、こんな口上があるだろうか?
意外に多いパターンである。
(オマエタチは日頃、親をどうしていたんだ!と、こちらが怒鳴りつけてやりたいくらいだった。)
こちらは患者さんとは最期まで、とてもよい仲でおれたのに、娘や息子達は、自責の念をどこかに転嫁しておかなければ、気がたまらないのであろう。
そんなことは、先刻承知のこちらではあるが、一言(ひとこと)くらい、お世話になりました、くらいあっていいだろう。
こちらは、本心から涙を浮かべてお悔みしているんだぞ、と言いたい気分だった。
それはそれで、人間の当然の「自然の情」であるから、いいことだと思うし、最もだと思う。
日頃から冷たい家族に、愚痴がないではなかった患者さんは、たまたま合成医薬品に弱かったものだから、難治性疾患はもとより、多くを漢方薬に頼っていた。
だいぶん、体力に自信を失うような状態になった頃には、漢方薬でも「高貴薬」と言われる牛黄や麝香が配合された漢方製剤を多用するようになっていた。
たしかにそれらで、暑い夏も過せたし、弱る体力を維持できていたし。
ところが、寿命というものだろうか・・・・・・。
患者さんには、大変頼りにされて、当方から出す漢方薬を信頼して下っていた。
いったん床に伏せるようになってからは、衰えが早かった。
もともとの肺に関連した難治性疾患には、一般西洋医学治療においてはもとより、漢方医学や中医学においても、高齢とともにどうしようもない部分も生じていた。
そんなところへ、滅多に帰ったことの無い、息子や娘達が帰ってくる。
「何をおたくは、飲ませてるんですか?」
人にものを尋ねるのに、こんな口上があるだろうか?
意外に多いパターンである。
(オマエタチは日頃、親をどうしていたんだ!と、こちらが怒鳴りつけてやりたいくらいだった。)
こちらは患者さんとは最期まで、とてもよい仲でおれたのに、娘や息子達は、自責の念をどこかに転嫁しておかなければ、気がたまらないのであろう。
そんなことは、先刻承知のこちらではあるが、一言(ひとこと)くらい、お世話になりました、くらいあっていいだろう。
こちらは、本心から涙を浮かべてお悔みしているんだぞ、と言いたい気分だった。
投稿者 薬剤師 2005年9月3日 22:54
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